いちばん続けられること、を考えた結果、大学のゼミや研究会での議論や思いついたことをぽつぽつ書こうと思います。
1回目は、先週行った卒論報告会から。
私は金沢大学で地域経済論という分野を教えていますが、学問としての地域経済学はさておき、学生にとっては、地域に関わることなら何でもありです。なので、毎年、本当にいろいろなテーマの卒業論文が出てきて楽しいです。そんななかから、面白かった論点を拾ってみたいと思います。
Iさんの卒論研究は、文化芸術団体の経営と公的支援に関するテーマで、橋下市政下でリストラの対象にされた大阪市音楽団とオーケストラ・アンサンブル金沢の比較でした。
全国各地の音楽団は、主に事業収入と公的支援とその他民間支援・助成で成り立っていますが、その構成比はさまざまです。オーケストラ・アンサンブル金沢は事業収入が約4割、公的支援が約4割、その他2割弱ですが、大阪市音楽団は事業収入5%に対して公的支援が9割を占めています。これは市営の音楽団として営利活動が制限されている事情によります。いずれの団体も事業収入だけでは成り立たず、公的支援が欠かせません。
けれども、特定の文化芸術団体にどれだけ公的支援できるかといえば、今の財政制約は厳しいのも実情で、大阪市の橋下市長は「公で抱える必要があるとしても(吹奏楽だけを)特別扱いすることはできない」として、いきなり廃止を決めました。これはたいへん乱暴な意思決定ではありますが、とはいえ、どういった芸術団体に公的支援すべきかという政策根拠が曖昧であったことをはからずも示しました。
では、公的支援を必要とする文化芸術団体の存続を、どのような論拠で考えたらよいでしょうか。Iさんの議論は次のようなものです。文化芸術団体の活動は、文化芸術に関心のある層に対する「コアな文化芸術活動」と、子供達や地域住民の文化芸術意識を啓発する「アウトリーチ活動」に分けられる。前者は市場で成立するが、後者は文化享受の機会を広げる社会的役割があり、低価格・無償での活動が期待されるため、市場では成立しない。もし、後者のアウトリーチ活動が弱まると、文化芸術に関心を持つ裾野が薄くなってしまうので、前者も成立しなくなってしまうことになる。
ここでIさんは、衛紀生氏の「レジデントシアター」構想を引用します。文化芸術団体が地域住民の文化享受能力を育て、文化享受能力を高めた地域住民が地域の文化芸術団体を支える(高い価格で消費する)サイクルを想定できるとき、文化芸術団体は私的な欲求を充足させると同時に、「社会的な価値財」であって、住民のコンセンサスの下で一定の公的支援が正当化される、という論理です。このとき文化芸術団体は、事業収入と公的支援のバランスで成り立つことを認められます。
そして、このサイクルに近い事例として、Iさんはオーケストラ・アンサンブル金沢を取り上げます。オーケストラ・アンサンブル金沢は、コアな文化芸術活動だけでなく、アウトリーチ活動にも熱心なのですが、それは単なる社会奉仕ではなく、お金を払って文化芸術を支える将来の観客層を育てる活動になっていると分析されます。
実際にオーケストラ・アンサンブル金沢がそこまで理想的な運営をできているかはさておき、公的支援の根拠には文化享受能力の高い地域住民のコンセンサスがあり、文化芸術団体自身がそうした地域との関係を自覚して活動を積み重ねることなしには公的支援の根拠は継続しないという、動的な政策基準の枠組みにはそれなりの説得性があります。
金沢には「消費」を通じて芸能を支える旦那衆文化が歴史的に存在してきました。オーケストラ・アンサンブル金沢のケースは、幅広い住民層がいわば「小さな旦那衆」の集合体となって現代的な文化芸術活動を支える、そういう地域の関係性を創り出そうと工夫している訳です。これは、個人的欲求の対象として文化芸術の鑑賞があるという市場主義の消費観と比べて、少々高くても地域の文化芸術の蓄積のためには対価を払うという、精神的に厚みのある消費観が想定されていて、非常に金沢らしくて面白いと思いました。