金沢まち・ひと会議

DISCUSSION | 月曜日 23 3月 2015

座談会/今宵のお題「工芸建築」#006

経済原理で突っ走っても
いいものはできない。
あまちゃんも直島も
20〜30年の我慢期間があった。

佐無田 だんだんわかってきました。場所や全体の空間性みたいなものに関わっていて、そのなかで個々の工芸的なディテールが活かされるように工芸自身も進化していく。さらに場所や空間自身も進化していく。そういう空間とディテールの新しい関係や分業のあり方を提案していくこと。それが工芸建築か。
宮川 それってモノと空間との境界をなくしていくような考え方なのか。部分と全体の境界をなくすようなイメージなのか?
秋元 そこは言葉でいうほど簡単じゃない。今日、ある旦那がかつて集めていた骨董を見る機会があったんだけど。おもしろかったのがお店で売られている骨董品のたたずまいと、その人のもっていた骨董のたたずまいはまったくちがっていた。風呂敷包みをとって桐箱を開けてみるとモノとの距離感がちがうんです。いまの人はモノを使いこなす能力が低下している。モノが単なるプロダクトになって、骨董品も単なるプロダクトになってきている。本当の力を引き出せていないんだけど、その人は引き出していた。ひとつひとつのモノにちゃんと関係性がもてたらもっとすっきりするはず。そういう豊かさを獲得することが、経済成長をピークに迎え、成熟を迎えた日本が次にやるべきことだと思う。
内田 むかしの建築は工芸建築といってもいいくらい技術の粋を集めた建物があった。そのときは貧富の差があって、圧倒的な旦那が存在して、大多数のお金のない人がいた。いまは中流社会になってわたしたちが求めるものはまったく質が変わった。それにあわせて工芸も建築も退化している部分はある。けっして回顧主義的にそっちに戻れるかというと非常に難しいと思うんです。
現象でいうと、いまはハウスメーカーよりも建築家に頼みたいという志向がある。全然ちがう話なんだけど、NHKの『あまちゃん』って番組を観たことある?あれは匂いがあります。建築でも匂いのする建築と匂いのしない建築がある。
秋元 『あまちゃん』は小劇場をそのまま番組化した。小劇場の匂いだね。ある種の手づくり感のような匂い。
そう。手づくり感。そこにマーケットがあるんじゃないか。
佐無田 手作り感は文化的付加価値があるのでマーケットになる。『あまちゃん』のすごさは大衆市場にのっけていることですね。しかし本当に手づくりのものはすごく高くなってしまう。
秋元 経済学者の人たちに言いたいことがある。それは我慢しないといけないということ。経済原理だけで突っ走ってもよいものはできない。『あまちゃん』はできるまでに30年間かかっている。下北沢の小劇場文化が発展するまで30年間仕込んでいるわけです。仕込みの期間は我慢しないといけない。直島だっていまは大衆化しているけど、あれも20年間やってるわけで、瞬時に大衆化したわけじゃない。わたしは15年間たずさわったけど、うんともすんともない時期がほとんどだった。でもやってることは変わってなくて、香川県という行政が入ってきて、ちょっと間口を変えた感じでなんとなくわかりやすい路線になった。でも訪れる人が感動しているのは、偉そうだけどわたしが初期につくった直島、豊島、犬島なんです。経済原理だけに軸足を置くと、できるものもできなくなる。30年がんばれとはいわないけど、がんばる期間は必要。工芸建築もはじめから地域活性化策とか経済活動としてやってるわけじゃなくて。仕込み期間は必要だということをふまえて、日本のどこかで誰かがやらないと工芸建築はできないと思う。わたしは直島の次の展開として、直島ではできなかったことをやりたい。それがほぼ見えてきている。