金沢まち・ひと会議

DISCUSSION | 月曜日 2 3月 2015

座談会/今宵のお題「工芸建築」#002

茶室は工芸だ。
茶碗にこめられた工芸性と、
床柱の工芸性は
変わらない。

秋元 近代的な原理のなかでいくつか特徴的なものがあります。ひとつは、もともと総合的に成り立っていたものをカテゴリーに分割していくこと。たとえば教会にはそもそもすべての要素が入っていた。なのに「これが彫刻で、これが建築。これが絵画で、これはインテリア…」という具合に、カテゴリー分けしたほうが合理的で効率的だよねって話になっていった。もうひとつの近代の特徴は、大衆が「よい暮らしをしたい」となって機械の発達が量産化を後押しした結果、みんなそれなりにものを所有できるようになったこと。それは近代のよさなんだけど、もはや大衆は「もうお腹いっぱいです」 と言っている。にも関わらず生産はどんどん自動進化していく。カテゴリーも自動進化する。 その過剰さに対してポストモダンは起きている。それは半ば病気みたいなものです。
宮川 流れとしては、もういちどひとりひとりの暮らしや社会を総合性のなかで考えましょう…総合的な効果をとり戻しましょうよと?
秋元 もちろん近代的な成果として、安全基準の整備とか、所有しやすい価格帯になったといった利点はある。そこは利用しながらもう一度カスタマイズして、それがその場所にある理由や、ある種の身体的なものを考えてみようと。たとえば金沢の居心地のよさのように、せっかく東京ではなく金沢を選択している理由を考えてみたい。金沢にいてよかったと思えるような家に暮らしたかったりするじゃないですか。それって数値化できなかったり、言葉に落としこめなかったりするんだけど、みんなそれを選んでる。ある種のディテールをもたないと成り立たなくなっているというか。
カタログで選べるようなディテールじゃなくて、もう少し深みがほしい。
秋元 ポストモダン的な工芸建築じゃなくて、もうすこしリージョナリズム的に考えるといい。建築だとピーター・ズンドー。モダニズムの延長線上にあるんだけどしっかりディテールがある。サイトスペシフィックな場所との関わりや、歴史性や、風土性も考える。単なる形而上学的なプランを具現化したような鉄とガラスの抽象度が高い物体というわけでもなく、きわめて人間的なディテール。そういうものをピーター・ズンドーいう特殊な建築家だけがつくりだすんじゃなくて、フォーム化できるひとつのキーワードとして工芸建築はあるんじゃないかと思うんです。まぁ、実態がないからわからないんだけど(笑)。
宮下 そう。それがどういうものになるのか、まだ誰も具体的にはわからない(笑)。
宮川 内田さんは工芸建築と金沢の都市との関係についてどう考えてますか。
内田 すこし怖いなと思ってるのが、場所との関係性が工芸という強さに引っぱられて乖離していくんじゃないか、という点。金沢は金沢だというひとつのイメージに引きずられてるけど、金沢のなかでもそれぞれの土地の場所性がある。工芸はそれまで土地に引きずられない動産的な価値があったと思いますが、 不動産と結びついたときにどう表現されるか。その土地・場所とどんな関係性をもつのかは気になります。
秋元 工芸建築はデコラティブな建築じゃないよ。工芸的な取り組み、あるいは職人的な取り組みと言ってもいい。
内田 あっ、デコラティブという意味での危惧じゃなくて、場所の力や風や雰囲気を工芸作家がどう読みとっていくのか。これまで工芸は動かせたわけですよね。工芸が動かない土地と結びつくとどうなるのかは疑問です。
秋元 動かせているように見えているのは近代工芸になってからです。もともと日本産の漆は欧州にもっていくと割れてしまう。モノとして成り立たなくなる。木にしても、北向きにする柱は山で北向きの木を切ってくるでしょ。土地を読みこむ職人的な技術とか、それがソフィティスケイトされて工芸的なものになっている。そのへんのバランスがむずかしい。やりすぎると原理主義的になったり、固有性だけにこだわったものになってしまう。頃合いはむずかしいよ。
内田 工業製品の普遍性と工芸建築が対立軸にあるものだって話をするなら、普遍性と固有性の間のどのへんにポジションをとるかはむずかしい。
宮下 たとえば茶室はズンドー的で、ズンドーが茶室的なのか。わからないけど、わたしは近い部分をもっている気がしています。意匠だらけにならず、その土地の材料だったり、文化だったり、住む人の想いみたいなものを建築空間にしている。茶室は一種の工芸と呼んでいい。
秋元 そう、あれは工芸だ。茶碗にこめられた工芸性と床柱の工芸性は変わらない。
宮下 茶室は工芸建築とつながりがある。
小津 つながりがないと茶室は民家になってしまう。
一度茶室を設計したことがあるんですけど、まさしく工芸的だった。奈良の桜井まで行って、2日間かけて山のいろんなところを見て一本ずつ木を選び出していった。そのときは木の見立て師に教えてもらいながら木を選ばないと茶室は成立しなかった。クライアントは時間なんてどうでもよいと言ってた(笑)。