(1)では、ふるい地図をもちいて、昭和よりまえの金沢のまちのよみとりをお見せしました。
さて、昭和になってまちがどう変化したでしょうか・・・。
特に急激な変化がおきた、第二次世界大戦後の変化をみてみましょう。
地図を手にいれる関係上、1966年からの変化を見てみます。
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1966年には、地域で自律した生活が可能になるような施設がまだたくさんのこっていました。魚屋さん、豆腐屋さん、などなど・・・個人商店がなりたっていた時代ですね。伝統をかんじさせる、染め物屋さんものこっていました。
ところが、1980年代を経ると、急激に駐車場が増加します。バブルの影響だと思いますが、まちなみが歯抜けになってしまうのです。
それから、東山が観光地としてのいちづけを高めるにつれて、観光客むけの土地利用も増えていきました。
金沢のまちはうつくしいまちなみが今ものこっていますが、1980年代から90年代までの経済状況が、いまもまちなみに大きな傷をのこしているのです。こういったことはなかなか取り返しがつかないことですし、みんなで慎重にまちのありかたを考えていかなければ、経済原理にしたがってまちがつくられていってしまうのです。
もちろん単純に古いものを残せばいいということでもありませんし、個別の事情もあるのですが、たいせつなものを残すための助けかた、をもつことが金沢にほんものを残していくことにつながるでしょう。
※1 内田奈芳美「地方都市中心市街地内の「狭間の地域」の将来像」日本建築学会学術講演梗概集F-1 pp. 73-76(2010)