金沢のまちづくりのキーマンにインタビューをすることを始めました。目的は、金沢のまちづくりがどのようなひとびとによっておこなわれ、そのひとたちがどのようなことを考えているか、ということが、これからの金沢を考えるうえでヒントになると思ったからです。
まずは、NPO法人趣都金澤の理事長である浦淳さんにおうかがいしました。ここから、いろんな方におなじ質問をしながら、金沢のまちづくりキーマンをご紹介していきたいと思います。
1.まちづくりにかかわったきっかけはなんですか?
小さいとき、親戚が東京に住んでいたので、行ってはよく金沢と比較していました。東京には人が多くて、地下鉄があって駅があってそこに賑わいがあるとか、地下に商店街があったりするので、金沢で同じ事をあてはめるのは無理だけど、バスに乗りながら、金沢にも電車があればいいなあとか、そんなことをよく考えていたのです。
大学では建築史の研究室で奈良や京都のまち並みについて研究しました。その後チベット・ネパールなどのアジア諸国やトルコやギリシアなどにバックパッカーとして1人で訪れたりしました。1都市につき1週間程度滞在すると、日本の常識には存在しない、人と、村・まち・建築とのつながり方が見えてきたのです。単なる建築ではなく、人と都市・宗教・風土といった要素との関係性が面白いと思いました。
ちょうどそのころ日本では石山修武さんのように建築家がまちづくりに挑戦し始めた頃(編集注:石山修武さんは早稲田大学教授で、気仙沼のまちづくりを手がけていた)人とまちとの関わりに興味をもって見ていました。
その後就職して金沢に戻り、金沢青年会議所(JC)に入りました。まちづくりとの関係はそこからが大きくなりましたね。トップダウン型のまちづくりは高度成長期には有効ですが、今後はそんな余力もないので、ボトムアップ型で、皆で考え、皆でつくっていかなければいけない、合意形成によって物事をやらなくてはいけない時代になったと思います。なので、担い手を育てながらまちづくりをやっていかないといけないと考えました。
そこで、趣都金沢構想というものをJCでつくったのですが、それは21世紀美術館のオープンの前年(2004)で、ちょうど金沢のターニングポイントだった時期でした。このとき、まちづくりは内発的で持続可能でなくてはならないということを考えたのです。「趣都」とは、趣深いまち、オンリーワンのまちづくりという意味で、「趣都」という造語を作ったのです。これからの都市像というのは、“◯◯都市”ではなく、市民にわかりやすくあるべきだと思って、イメージしやすいスローガンを掲げました。
そこから燈涼会(http://toryoe.jp/)を始めたり、知名度や認知度を上げる意味でもNPOの法人格を取得したりしました。まちづくりの勉強会も、多様なひとたちと始めたのです。
(part2につづく)