金沢・まち
「ここは何処?」
こころのなかで叫び、思わず不安もよぎる。
初めてその場に立つ旅人のようだ。
この地で生まれもう半世紀余りを暮らしているというのに、
そんな瞬間をたびたび経験する金沢のまち。
いまだに足を踏み入れたことがない場所ばかり。
無闇に何処へでも入ったら出れないとの経験則から全く知らない所
それでもちょっとの冒険心に駆られ入ったことのない路地へ入る。
「それにきっと近道だろうし、、」と。
下見板の板壁に挟まれ曲がった細路。生垣、板塀、黒瓦。
その先に道はあるの? とT字路を曲がる。
途端に右も左も北も南もわからなくなり、
思わぬ石段、急に出くわした広見そして袋小路。
この路は近かったの?
進んでいるのか遠ざかっているのかは勘のみが頼り。
突然に目の前の展望が開けてまた閉じる。
ただ、こんなところがあったのだ!
と少年のこころは満ち足り、
展望開ける蛤坂やW坂(石伐坂)、
今ではすっかり有名になった「暗がり坂」
金沢のふたつの台地の間を抜ける犀川・
昔の水路も道になり、
呼称がきっとあるだろう、
きむすこ(木虫籠)と呼ぶ細木の出格子を持つ町家。
その出格子が弁柄に塗られた茶屋街。
小さな子出入口も付いた欅板の玄関大戸。
武家屋敷の土塀、足軽屋敷。
路地通り一本出入するたび、
我家は城下の南端。北國街道沿いになる。
祖父が子供の頃には近所に関所の跡がまだあったと語っていた。
金沢の町家らしく白い漆喰が塗られた火除けの為のうだつ壁、
家の前には「どぼそ」と呼ぶ側溝があり、
用水沿いの家となれば、立派な橋を渡ることになる。
一歩家の内に入れば、
後庭まで続く叩きの通り土間。
土蔵の作りにも似る。
仄暗い中そこに天窓からの明かりが差す。
土間は地下の氷室(ひむろ)にも通じ、年中冷やっこい。
奥や二階に、
兼六園もかつては金沢のひとの通り抜ける近道の庭でもあり、
城下の住みびとという感じが今よりずっと強かった。
雪は降り始めが綺麗と、
唐傘山からの眺めもご馳走のひとつ。
ここも曲がりくねった空間の庭。
お堀の向こうは、石垣・海鼠塀・鉛瓦の金沢城。
城内は金沢大学があったため石川門の枡形までは誰でも入れた。
今は市民も観光客も出入りしやすいよう整備され以前の枡形たる面
尾山神社山門に光るステンドグラス。
右も左も前も後ろもお寺ばかりの寺町、東山。
今もって不思議不思議。小さい町にお寺がいっぱい。
そこからは、街並みと川と雪を抱いた山々の眺望が開ける。
この歩いて廻るスケールに驚くほど異種な風景が混じり込んでいる
情緒が体に染み入るように金沢の人は暮らしているのかもしれない