いつもミルフィーユと聞くと金沢のことを想う。
30年余りも前のことだ。
今と違って甘いものを食べなかった頃、
初めて見るミルフィーユは、パイ生地・チョコレートの薄板・
生クリームにフルーツ・スポンジと様々に層をなして、
どこから手をつけてよいのやら、、、、。
案の定、グチャグチャに散らかし食べ終えた。
美味しかったのだろうが、味はさっぱり覚えていない。
只々、食べにくい思い出が残った。
そして《金沢》みたいだと その時思った。
建築家の水野一郎先生が、
きっと同じように思っておられるのだと思うと嬉しく光栄だ。
ミルフィーユ。 美味しさが層をなしている。味は食べてのお楽しみ。
どう食べようかで味も変わろうというもの。
チョコやパイ、各層その下は横から見るしかない。
味を思い描きつつフォークを縦に入れると、
綺麗だったはずのその層も台無しになる。
最初にみたミルフィーユは全部の層が違っていた。と思う。
今インターネットでミルフィーユの画像を探すと、
それでも多種多様。
コアなファンも多いことがわかる。
最初に見たミルフィーユの画像に行き当たらないので、
流石!ありがとう‼︎
教えてくれた本場フランスのミルフィーユが思い出深いミルフィー
素材が活きている。
金沢のまち。
町の名も様々だ。
横山町・五十人町/尾張町・近江町/白銀町・大工町/寺町・
武家/商人/工人/寺社/自然、
「旧町名ならだいたい場所の見当がつくのに、、。」
歩いて廻るスケールの金沢の城下だが、海も近い、山も近い。
町から6km程直線に伸びる金石往還(藩政期造営)
ここに1300年近く鎮座する大野湊神社の能舞台では神事能が4
隣の大野町は造り醤油で知られるが、
金沢のまちのすぐ背には山も迫り竹藪も多く筍も美味しい。
山合いの町も多く、
青と白の加賀奉書が市松模様に貼られとてもモダンだ。
我家にも青白市松文様の入った襖がある。
もう45年を過ぎ随分すたれている。が、代える決心がつかない。
襖を新調した頃には、
今のカタログには無い。
部屋と建主を見て建具屋さんが祖父や父と相談もせずに入れたよう
襖の胡桃の縁は全く年月を感じさせず、だんだんに美しく思う。
外から見えない金沢。
外に見せない金沢。
ひとも物も空間も多様。
道も路も未知。
オヤジギャグではないが、路にしかり、
芸道に入るにもチョコレートの薄板に阻まれて、
チョコばかりではない。
見えているようで、見えてはいない。
《ひと》は実際に触って初めて見えていなかったことがわかる。
物や器は使われ淘汰される。
薄い層を根気よく剥がしていくと、綺麗な下の層にたどり着く。
ある時、コチッとチョコの薄板が気持ちよく割れ、
チョコも熱にゆるむ。
だが、
大胆に食べたいように食べて醍醐味となる。
慣れてくれば散らかることなく様々に楽しめよう。
見えない先、先を見ない繰り返しの中で、
忽然と美しいものを目にした時の喜び。
忽然と真理に触れる畏敬。
客層は30才前後のある酒場でのこと。
カウンターに連れではないひとり一人が肩を連ねている。
「今年は寒くって、道もつるんつるんやし。、、、
「そうそう、みんなお能の様やった」、、、、
「学校から必ずみんなお能を観に行ったし」
と4人程肩をよじらせ話している。
能の足の運びのように、
凍った雪道からのお能の話しを、
着物離れも進む中、街をゆくと若い方の着物姿も増えた。
新幹線での観光の中、レンタル着物で散策、
少し前まで、
ミルフィーユにまた美味しい層が積まれつつある。
無邪気で新鮮な素材が重なってほしい。
金沢にはワンダーランド、
子ども心も大人ごころにも少なくなったが邂逅が今も残る。
冒険心とちょっとの勇気。
そして辛抱や根気というのもちょっとは入れたほうが滋味風味も深
シルクロードの東端で文化を醸した日本のように、
魑魅魍魎に出会うのは滅相もないが、路地や木立の傍、
場が少しは在り続ける金沢であって欲しい。
そういう金沢に住んで居たい。