金沢まち・ひと会議

| 水曜日 30 3月 2016

きょうの現代美術 第四回

「今日の現代美術」というタイトルでエッセイを書こうと思っていましたが、タイトルをよく考えると「いま」という形容がダブっているんだよね。それに本人は「今日の」を「きょうの」と読んだつもりが、「こんにちの」とも読めるということに気付いて、この二つではだいぶ伝わる雰囲気が違うので(「こんにち」は堅い)、「きょうの現代美術」と開くことにしました。「きょうの料理」とか、そんなフランクさですね。
しつこいが今日もデマリアの球体作品です。追記ですね。木製の「ボールドロップ」という作品が1961年の製作で、ニュートンのリンゴの話よろしく、重力について触れた作品です。重い球を上から落とすと「ゴン!」と床にぶつかる、という身も蓋もない作品。まさに落下を知ることになる。それが40数年後に直島にあるような巨大な球体のインスタレーションになるという話をしました。その間には、水平に移動する球体作品があり、円などの幾何形態から、十字架などのシンボリックな形まであり、重力、引力といったエネルギーを持つものが、ある形を与えれられて、それをなぞるように移動する、そして、それが歴史や人間の作り出した理念といったものに触れているのではないか、という話を前に書きました。実は書きながら、垂直の重力をテーマにする作品から水平にそれが展開し、幾何形態に沿って移動する作品までには、コンセプト的な開きがある、アイデアの飛躍があるなあと思っていたのですが、やはり間を埋める作品がありました。単に球体が水平に移動する作品で、かつ、垂直型の作品のときに重要な要素であった落下音「ゴン!(これは重力を感じさせるという意味で重要)」を引き継いだものなのですよ。 私はこの作品を実見していないので、想像するしかないのですが、金属棒に溝が掘ってあり(トイのように)、そこに球が入っていて、自由に動くようになっている。ただ自由といっても、直線に沿ってなので、それほど形態としては目を引くところがあるわけではないのですが、興味深いのは、集音器や音の増幅装置が付いており、球が移動し、あるいは壁にぶつかった時の衝撃音を何らかの形で加工して音として出していたのではないかと思わせるのです。つまり音を作品の一部にしていたということです。これはとても興味深いポイントで、音について、実は直島の「タイム、タイムレス、ノータイム」という作品でも使用されているのです。ときおり「ゴン!」という音が室内に響きます。デマリアは、61年製の「ドロップボール」という作品から単に球体という形態だけを発展させ、作品として展開しただけではなく、初期から興味を持つ、そして自分の芸術活動の始まりでもある音楽(音)を継続してずっと問題にしていたことになります。前から感じていましたが、デマリアは、音や時間、環境というものに対して敏感に反応してきました。造形的に非常にきっちりとした形態を作り出す作家なので、空間的な美しさに配慮した視覚重視の造形作家のように見えてしまいますが、実は極めてコンセプチュアルであるばかりか、ミュージック、ハプニングなど、こういった時間的、非形態的な要素に強く反応する作家でもあるのです。その証拠に、実は彼は、当初美術作家を志していたというよりも、音楽家を目指していました。小学校時代から小太鼓をやっていましたし、パーカッション、ドラマーとして、ルーリードらとともにベルベットアンダーグラウンドの前身の実験的なロックバント「ドラッズ」にも所属していました。当時のデマリアの活動を知ることができる貴重なCDがあります。そこでは彼はコオロギとドラムセッションをし、海岸に打ち寄せる波とドラムセッションしていました。ある意味では、視覚芸術家としてのデマリア以上に音楽家としての彼のほうが年期が入っていると言えるほどなのです。というか、デマリアにとっては、音も視覚も分けられるものではないのかもしれません。さて話を進めて、この作品を制作していたこの頃、つまり1965、6年頃ですが、もうひとつ興味深い作品を作っています。「ハイエナジーバー(高エネルギー柱)」という作品です。これは単なるステンレススチールのバーに見える作品です。これを立てればまさに2001年宇宙の旅のモノリスです。文字が書き込まれていて、何本か制作しています。これもまた別の意味で興味深い作品ですが、今日は、直線に溝が切ってあり、そこに球がはめ込まれている作品との形態的な相似だけに触れてこの話を終わりにします。「ハイエナジーバー」にはまた別のストーリーがあります。それは芸術性についてオリジナルと価格から考えさせる作品です。これついてはまた次の機会に。