金沢まち・ひと会議

DISCUSSION | 月曜日 2 3月 2015

座談会/今宵のお題「工芸建築」#003

法隆寺の大工は建築家か?
という議論がある。
これからはプロデュース力が
求められる。

小津 工芸建築はブリコラージュじゃないですよね。手元にあるものを組み合わせてつくるのではなく、ある意図のもとにつくられる。
内田 手づくり建築じゃないですよね。少しずつ手でつくるようなブリコラージュ的な建築とはちがう。
秋元 カタログから選んでくださいというのが昨今のモノと人との関係性だけど、むかしは発注者が職人に対して「わたしはこういうのがいい」と注文するやり方だった。依頼主と作り手がいっしょにつくってもよいわけです。今風にいうとワークショップ形式。
宮下 それは、セルフビルドすることではないということ?
秋元 作り手と発注者が出来あいの製品を軸にしてはっきり向き合うようになったのは近代になってからです。たとえばモリ川さんに金沢的な写真を撮ってもらいたいとお願いするとき、いろいろ注文をつけたりするでしょ。自分の美意識を反映したいのでセルフビルド的な要素も入ってくる。
小津 法隆寺の大工は建築家なのか?という議論がある。いまの建築はクライアントがいて、計画者がいて、実際につくる人がいる。3つに分かれている状態。日本の明治以前の建築は権力者と大工さん。大工さんは全体の計画性はもっていないけど技術をもっている。技術を集める力もあった。そういう大工さんが権力者に気に入ってもらえるようにつくっていくわけですけど、誰が建築を構想したかというと、んっ、誰だ?となる。
宮川 むかしって図面はあったんですか。
小津 なかった。アーキテクトという言葉は欧州から来たんだけど、本当に最近です。モダニズムが誤解されて分業制の経済主義になって、積算をするのが建築家になってきている(笑)。
宮下 それは悲しい。
秋元 おそらく建築は、今後は無名化していくんじゃないかな。現代美術もそうなっていく。ピカソなんかの圧倒的な才能をもつ個人の幻想もあるけど、それ自体を薄めていくしかないと思う。いまは村上隆も集団で工房制を敷いていて、甲冑芸術なんかもあたりまえ。プロデュースする力が求められる。
小津 千利休はプロデューサーでもある。職人をかき集めてきて、あるコンセプトのもとにつくるのもあった。あれはおもしろいと思う。クオリティーも圧倒的だし。
茶室は小さいからこそプロデュースできる。建築を語るうえで、計画の分野は進化したと思います。どんなふうに空間を配置して、どうつなげて美的な構成を行うかは、いまの建築家にとって大切な役目です。でも、ディテールやある種のデザインをはめ込む際の力量はあるのかというと疑問です。むかしはチームでやってた。利休は小さい茶室はつくれるかけど、全体的な邸宅はつくれない。
秋元 いまの茶の話は利休の美意識に集約していっているけど、茶の高みは利休だけじゃない。利休のように内向していく茶人もいるけど、一方で古田織部もそうだし、江戸の普請奉行をした小堀遠州は完全に計画家だった。造園から都市計画に近いこともしている。都市度が高まり、都市計画家的な要素が求められる時代背景があったんだと思う。そのなかでも小堀遠州はディテールをもっていた。つまり、タイプにもよると思う。利休は内向的な人だった。
小堀遠州は別としても、いまの建築家は大きくとらえられすぎている。建築家はすべてにおいて知っているわけではない。そこに立ち返る必要はあると思うけど。
秋元 映画や音楽をつくるのはチーム。そこにプロデューサーがいる。美術や建築の世界もプロデューサーがいたり音楽監督がいたりするかたちになるんじゃないかな。