金沢まち・ひと会議

ESSAY | 火曜日 5 4月 2016

内田奈芳美さん Interview 《第一回》

JUN URAエッセイ

Interview

■プロフィール

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内田 奈芳美  埼玉大学 人文社会学研究科 准教授
福井市出身。ワシントン大学修士課程修了、早稲田大学理工学研究科博士課程修了。博士(工学)。専門:都市計画・まちづくり。金沢工業大学環境・建築学部講師などを経て、現職。

 


 

-----先生は福井市出身で、首都圏やアメリカにも在住され、金沢工業大学に赴任されました。金沢に来られる前と後の印象はどうでしたでしょうか?大きな違いはありましたか?

 

子供の頃は訳あって金沢にはよく来ていました。原風景として近江町市場だけはっきりと覚えています。あとは金沢大学。お城の中にある学校として憧れはありました。当時は近江町市場も整備される前で金沢21世紀美術館もなく、ひがし茶屋街も親が連れていくような場所ではありませんでした。

 

-----今のような重要伝統的建造物群保存地区(重伝建)の整備がされる前ですね。ひがし茶屋街は過去に火災があってそれを機に直さなければならないということで経済人たちが立ち上がったように思います。重伝建の運動がなければ今頃は廃れてなかったかもしれないですね。

 

昔の写真を見ると塗装はアスファルトで昼間に空いている店も少なかったようです。そう思うと重伝建の運動は大切だったと思います。

 

-----大学で東京やワシントンにも在住され各地方都市もお仕事で行かれているなかで、それらの都市と今の金沢を比べたときに金沢の特徴とは何だと思いますか?

 

金沢は魅力的だと思うのですが、それは背後にあるストーリーを知っているからだと思います。逆に裏のストーリーを知らない人が金沢をどう思っているのかは気になるところです。来たばかりの頃はどうしよう、何もないと正直思いました。でもよく見てみると豊かなストーリーがあることに気づきました。

 

-----新幹線開業後の今の金沢の現象についてどう思われますか?

 

金沢に来られている人は多いですが、まちの本当の魅力やストーリーについて理解していない人が多いように思います。

 

-----具体的にストーリーを見せていく際の方法やプロセスは何があると思いますか?

 

点と点でしか移動しないというところに課題があると思っています。本当は普通の人が住んでいる普通の道の方が面白く、例えば明治時代に建てられた町家や、戦後すぐの状態を感じる朽ちて残っている場所などに「時間断層」が見えてきて面白いと感じます。

 

-----日本の観光はどうしても点で見るところがありますね。ひがし茶屋街も外観保存はされていますが内部はそのままのものもあれば現代的にアレンジしたものもある。また、一歩メインストリートを外れると、古い町家の外観を嫌って金属板で囲ってみたり、現代的な建物が混在してたり。まちの過程を見ていくとそれ自体も面白いと思います。

 

そのためには見る側にもリテラシーが必要で、ブラタモリを面白がる人がいるように、ああいう見方ができるということを来る側も学ぶ機会が必要だと思いますね。凍結したまちではなく、断層がある方が実は面白いのではないでしょうか。

 

Interview

 

-----内田先生はまちづくりとコミュニティの話もよくされますが、私や内田先生が所属しているNPO法人趣都金澤をもとにお伺いしたいと思います。趣都金澤のように今までの地縁とは異なるコミュニティが街に加わり始めていますが、それと今後のまちづくりはどう繋がりあっていくと思いますか?趣都金澤は割に独自性の高い目的型コミュニティだと思いますが、今後の継承なども見据えながらシステムとして街にどう落とし込んでいけるのかが課題と感じています。

 

これまでの地縁型、目的型とは異なる第三のコミュニティとして「プラットフォーム型」という単一目的ではなく明確な目的がはっきりしないコミュニティがあってもいいと私は思います。例えば、これまでの日本は縦型社会で企業に属するということが自分のコミュニティとして非常に重要でしたが、日本人は実はイメージと違って個人主義でかつ交わりがたいという人たちが世界と比較した傾向として調査で出てきています。新しい日本人の型として、従来の家族や会社といった縦型の繋がりとは別に、目的はないけれども繋がりあう横型のプラットフォーム型のようなものが出てきているというのが新しい動きで、価値観が変わってきているところだと思います。

 

-----個人主義を具体的に言うと?

他人と関わりたがらない、自分の属しているところだけで完結させようとする傾向があります。もちろんアメリカのようなところだと異なるコミュニティのぶつかり合いも激しいので、横の繋がりがないと衝突し合うという面もあるのでそれに比べて日本は安心して個人主義でいられるところがあります。

 

-----確かに、日本はまぁまぁという中間領域があって、無理やりにでも「和」の方向にもっていく傾向にありますね。

 

日本人が安心してディティールにこだわれるのは島国で敵が攻めてこないからだと、千利休についての本を読んだときそういった記述がありました。やはり囲まれた範囲のなかで安心していられるというのは、敵がこなかったからが大きいと思います。

 

-----今は日本でもSNS等の発達も含め個と個の対立が強くなっていますね。普通、多くの目的型コミュニティは年齢や職種などにより割と囲いこもうとする団体が多く見受けられます。しかし、NPO法人趣都金澤は年齢や職種にも幅があって、それをどう柔らかく受け止めていけるかが、このような対立が際立つ時代、そして高齢化時代だからこそ問われているようにも感じます。

 

特定の年齢層だけが集まってパラダイスを作ろうとしてもだいたいは上手くいきません。コミュニティやまちづくりについては独自性の高さは良い事と悪い事の表裏一体で、独自性があれば特定の目的がなくとも人は集ってきて柔らかくまとまりはしますが、独自性が高いゆえに継続性がないという話はよく聞きます。

 

-----難しいところとして無理やり目的を重ねようとすると先ほど話した柔らかさが削れてしまいます。もし新しいプラットフォーム型のようなコミュニティが必要だとすると、それを今度はどのような形で育て継続させていくのかが新しい課題だと思ったりしました。

 

Interview

 

-----新幹線が開業し観光客が流れてきている一方で、金沢21世紀美術館やひがし茶屋街、近江町市場など歴史的な文脈を読み取りながら丁寧につくってきたものが評価されてきた状況もあり、他の地方都市にはない一通りの基礎的な土台が出来てきたように思います。新幹線時代を迎えて次の金沢に期待すること、また東京と金沢についてどのように思っていらっしゃいますか?

 

新幹線は来ましたが、金沢は「奥っぽさ」を失わないでほしいと思います。金沢は奥であったことの意味があって、知る人ぞ知るという神秘性があると思います。住んでいる人はそんなことは思って生活しているわけではありませんが。「奥」という概念は日本的な空間の考え方であって、イタリアの研究者も空間の奥行きについて「ここ・向こう」という概念を言っていましたが、「奥」とは言いません。「奥」とは、私がいるところは「ここ」だが、さらに奥に何かを期待させる場所があるということです。要は壁で覆われているのではなく壁に穴が空いている状態で、日本での障子のようなイメージです。少しは見えますが何があるかは分かりません。

 

-----チラリズム的な?

 

俗っぽく言えばそうですね。存在性を、神秘性を守らないといけないと思います。奥っぽさには、日本の時間と空間の読み取り方が関係していると思います。

 

-----「奥っぽさ」というワード、気になりますね。まだまだお話しを伺いたいところですが、本日はお時間が来ましたのでここまでで。続きは次回のお楽しみに!内田先生、本日はありがとうございました。

 

ありがとうございました。

 

次回、テーマ「奥っぽさから」に続く (インタビュー実施 2016年2月16日)

 

■インタビュアー

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浦 淳 (株)浦建築研究所 代表取締役 / NPO法人趣都金澤 理事長
1966年金沢市生まれ。大阪の大手建設会社を経て浦建築研究所に入社、2006年代表取締役に就任。NPO法人趣都金澤〔理事長〕、日心企画(大連)有限公司〔執行董事〕、(株)ノエチカ〔代表取締役主宰〕など兼務。建築設計や企画デザイン・各種コーディネート事業を通じて、北陸の建築・文化の世界発信を目指す。